愚生~第2幕~

毎日がスペシャル・・・ではないんですが。

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「Hearty voxとハイフンと私」まさかのワンマンからこっち

先日、地元の友達と食事に行きました。

彼がマイミク申請をしてきたのが切っ掛けなんですが、

つまり彼はこの日記を読めるということなんですね。

他にも地元やら高校やらの友人が読んでるはず。

恥ずかしい話です。


基本的にぬるい目で見てるであろう友人たちへ。

そっとしといてあげてください。




ではいきます。









Hearty-voxは解散した。

僕はとりあえず、今までやってないことをやろうと思った。



それまであまり行かなかった、他人のライブを見に行ってみたり、

知り合いのバンドの練習にお邪魔してみたりした。




歌を歌いたい欲はムクムクと沸き上がった。


ちょうどその頃に、Hearty-voxの再結成の話が挙がった。


これから本格的にガツガツいけるグループを作ろうと思っていた僕には、そんなに魅力的な話ではない、はずだった。



しかし僕はこの話を快諾した。


そして2009年8月12日、Hearty-vox再結成のライブが行われた。



本当なら3バンドくらい出演する、普通のブッキングライブだったのが、

当時話題になり初めだった「新型インフルエンザ」の関係で、

まさかのワンマンライブになってしまった。



1時間は使わなければならない。


仕方なく、僕らは解散前のレパートリーをまた歌うことにした。



しかし、このときHearty-voxは、前のメンバーからリーダーを除いた4人になっていた。



そこで白羽の矢が立ったのが、今やHearty-voxの正規メンバーとして居座っている、菊池だった。



彼はメンバーの音楽仲間であり、Hearty-voxのライブをよく見に来てくれるお客さんだった。

その彼に、ヘルプメンバーとして出演を依頼したのである。


こうしてHearty-voxの今の形は誕生した。



まさかのワンマンライブでは、それ以前からのアカペラのコピーやカバーに加え、オケを付けたオリジナルも3曲披露した。

その3日後にはJAM主催のアカペライベントに、菊池含む5人で出演。




しかしそれからHearty-voxは、またもや長い休止期間に入る。



この休止期間の間に、僕は思った。


もう二度とHearty-voxに戻ることは無いだろう。

そんなに俺は暇じゃない。


学生の遊びに付き合ってるほど、俺に残された時間は長くない。


強い焦燥感の中、このころの自分が何をしようとして、実際何をしていたかは、よく覚えていない。



ただただ焦って悩む日が続いた。


ソロでライブに出てみたりした。

今までにない新鮮な感覚は非常に心地がよかった。

しかしながら、やはりコーラスグループへの想いは変わらない。

それを強く再確認することとなった。


新しくグループを作ろうと、メンバーを探してみたりもした。

しかしなかなかビビッと来る歌い手には巡り会えない。そりゃそうだ。そんなにゴロゴロ居てたまるか。




そんなころ、案の定Hearty-vox活動再開の話が持ち上がった。



どうよ?と尋ねられ、僕は即答した。










やる、と。

なんでだろう。





つづく
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  1. 2011/02/21(月) 22:31:40|
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いつか見た夢のように

昼寝の前にコーヒーを飲む。



コーヒーを飲むと、カフェインの働きによって眠気が覚めてしまう。

が、カフェインを吸収し、それが脳に作用するまでにおよそ30分かかる。


つまり、その30分を昼寝にあてるのだ。



30分後にはカフェインが効いて目が覚める。


さらにポリフェノールの効果により、脳が活性化され、目覚めもよくなる。

さぁ、皆さんもシエスタの前には一杯のコーヒーを。




以上、ホントのような嘘の話でした。





ちなみに僕はコーヒー飲むと落ち着いて眠くなります。


ただのカフェイン中毒ですね。ありがとうございます。



おやすみ。

いわき
  1. 2011/02/18(金) 12:41:44|
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「Hearty voxとハイフンと私」ハモネプ、カレッタ、そして

ここからの流れは、ご存知の方もぐっと増えるかと思いますので、

なるべく裏話や当時の心情について言及しようかと思います。

が、あまりにも真に迫ると、暗黒指数が致死量を超える恐れもあるので(笑)

ほどほどに。察してください。




では、行きます。




全国大会出場が決まった。



勝ちたい。優勝したい。
そう思った。



勝てるだろう。

そうも思った。


この時点で、結成からおよそ4年半。

去年今年に出来た他のグループに、負けるわけにはいかない。負けるはずがない。

慢心は、確実に心のどこかに在ったと思う。




僕らは練習の回数を増やした。

すると、それまで以上に色んなものが見えてきた。


集中力の欠如。意識の低さ。慢心。



どれも自分にもあてはまる物であったことは間違いない。

完全に今だからの言い訳だけど、それでも僕は必死で楽曲に、自分自身に、Hearty-voxに向き合っていたつもりだ。






それに応えてもらえないようで、とても歯痒かった。空しかった。




そして本番当日。


僕の4年半は、78点の評価を頂戴した。

その日の最低点だった。




悔しかった。








それまで募らせていたグループに対する不信感、そしてハモネプ前の練習ラッシュで見えてきた虚しさ。




色んなものが頭の中でごちゃ混ぜになった。

もう嫌だ。



僕は一つの結論をだした。



数人のメンバーには、それを伝えた。

結果、グループとしての一つの答えが見えた。






それを胸に携えて、2009年5月3日、JAM主催、カレッタアカペラバトル。


ハモネプ出場の時点で、出演が決まっていた最後のイベントだった。









初めて、本当に初めて、Hearty-voxというグループが、ガムシャラになって臨んだイベントだと思う。




僕らはこのイベントで優勝した。

嬉しかった。本当に。
こっそり泣いた。


「やればできる」は、あまり好きな言葉ではない。

しかしこのときばかりは、そう思った。








イベント終了後、僕は改めてメンバー全員に、心中を明らかにした。




それを受け、グループとしての結論を出した。










日付は既に変わっていた。


2009年5月4日。
Hearty-voxは、解散した。





つづく
  1. 2011/02/16(水) 22:58:04|
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なんだこの雪ふざけやがって

こんばんは、岩城です。

またちょっと連載をお休みします。


きっとまたサブタイトルを忘れるでしょうし(笑)






雪です。雪。




雪ってのは、邪魔なものなんだなぁ。


不本意ながら、そんなことを思ってしまう自分が居ます。

高校まで歩いて通学、定期券を初めて持ったのは、就職してからでした。

電車や車を移動手段にとると、悪天候ほど憎いものはないですね。

台風、落雷、そして積雪。


まぁ、そこまで恨むこともないか。


雪は必ず融けるのだから。









電車も道も大混乱。

家から脱出する手段と気力を奪われる人々。

犬は逃げ惑い、猫はこたつで、ただ丸くなるばかりである。


このとき、世界は混沌(カオス)に埋め尽くされる。








つまり、雪=混沌(カオス)なわけですが、



このカオスを掴んで丸めて投げつけ合う行為を「遊び」と呼ぶ子供達は、やはり無限大の可能性を秘めているのだと確信します。



しかし、外で遊ぶ子供が減っているのも事実。

日本の未来に憂いを抱かずにはいられません。










雪です。雪。



見渡す限りの、白、白、白。



こんな風に、すべてをまっ白に、リセットできたら。

道も街も、自分自身も。



そしたら何を描こうか。

どんな自分になってやろうか。

不本意ながら、そんなことを思ってしまう自分がいます。




ああ成りたい、こう在りたい。

ちょっとくらい、夢見たっていいじゃない。



ちゃんと夢から覚めるから。



雪は必ず融けるのだから。





夢で終わらないように頑張んなきゃね。



おやすみ。



いわき
  1. 2011/02/14(月) 23:57:07|
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「Hearty voxとハイフンと私」

前回サブタイトルをつけ忘れました。

サブタイトルは毎回、全部書き終えてから考えるんですが、
それを忘れてそのまま送信してしまいました。

っつっても誰も困らんよね(笑)





だんだん時間が今に近づいてきてますが、逆に思い出せないのは何故でしょう。

きっと、この頃が暗黒k(ry




いくぜよ。




ちょっと話が前後しちゃうんだけど、独り暮らしを始める少し前。

某女子大の学園祭に出演させていただいた。

名前だけなら誰でも知ってる、僕の地元の学校だ。





その話を頂いたとき、誰からともなくこんなことを言い出した。






モテる曲を歌おう。






いや、下心とかじゃないっす!!ホントっす!!

このときのHearty-voxの持ち歌はほとんどが洋楽のカバー。

邦楽のオリジナルアレンジなんて、はじめてのチュウと、宇多田の「First Love」くらいしかなかった。


女子大生に聞いてもらって、楽しんでもらえる曲が必要だった。

そこで歌いはじめたのが、いまやHearty-voxの代名詞といっても過言ではない気がしなくもない、

「Good-bye days」

である。




選曲の理由は簡単。
楽譜があったから。


細井が高校の部活(合唱部、ほぼアカペラ部)の後輩のために書いたものを、キーを下げて手を加えハーティ用にしたものが、いま僕らが歌っている譜面である。


この曲にしろ、はじめてのチュウにしろ、
楽譜のリサイクル率が高い、エコなグループです。ハーティは。





因みにSound checkもA change in my lifeも、
原曲はアカペラですが、声部が減っているため若干のリアレンジを施してあります。
が、元は僕らの楽譜ではありません(笑)

まぁこの話はまたの機会に。


とにもかくにも、ハーティはYUIさんのGood-bye daysを、多少の下心を携えて歌い始めた訳です。






時は流れ、掃除の仕事にも慣れてきて、社内での立ち居ちも随分見えてきた冬の日、ある話が持ち上がった。





ハモネプの予選を受けてみないか。




そんなこと考えたこともなかった僕らは初めこそ戸惑ったものの、何となく「受けてみますか」な空気になった。


そして、歌っていた邦楽のなかで唯一、1分半に縮めることが可能っぽかったGood-bye daysを持っていくことに決めた。


予選に向けた練習は、しなかった。

普段ライブで歌っているものの一部を切り出すだけだし、他のライブも決まっていたのもあって、ライブに向けた練習をしていた。

何より、受かる気なんてなかった。


そして予選当日。


さすがに緊張した。


テレビ局は想像していたより綺麗だった(っていってもやっぱり汚いけど笑)。



控え室では基本的にふざけていた。

緊張はしていたし、いつもよりテンションは高かったけど。

他のメンバーはそうでもなかったみたいだ。




そして歌って参加賞もらって、海辺に遊びに行った。

冬の潮風は冷たく、体に悪そうな雰囲気だった。

下らない下ネタで一頻り盛り上がったあと、僕らはお台場を後にした。












2週間ほど経って、ある日。

昼休みが終わり、寝起きの僕は重い足取りでエレベーターに乗った。


そこに、一通のメールが届く。

ハーティのグループ内のメーリス、差出人はリーダーだった。





Hearty-voxの、ハモネプ全国大会進出を知らせるメールだった。




思わず変な声が出た。

一緒にいた先輩が驚いて「どうした!?」と尋ねてきた。



「………来月のハモネプ、俺出ます」





このとき、心の中で何かが芽生えた。



つづく
  1. 2011/02/13(日) 22:48:27|
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「Hearty voxとハイフンと私」

なにやら足跡いっぱい付いててビックリです岩城です。


今日はちょっと光が差すよ!!多分!!やったね俺!!(笑)


ではスタートゥ。






会社を辞めて、また2ヶ月ほどニート生活をエンジョイした。

そう言えば前に「高校出たら家を出ろと言われていた」と書いたけど、
その辺上手くごまかしながら(苦笑)、このときはまだ実家に居た。




会社を辞めるって話になったとき、また両親に言われたこと。

「フリーターにはなるな」

しかしながら、僕はそれを望んでいた。


時間、気力をより音楽に向けられる。

それはとても魅力的なことだった。




両親がフリーターになることを許さなかったのには、僕に責任があった。


このときはまだ、何も話していなかったからだ。


歌への想い、プロになる夢。

人前に立って歌うようになった高校の頃から、一度も。

ってか恥ずかしいでしょ。普通に考えて。






もう間もなくハタチになろうかという僕は、思いの丈を父親にぶちまけた。




父が15歳の頃、彼にもまた夢があった。
その為の進学を考えていた。

しかし、母親(俺の婆さんね)の猛反対に合い、断念。

決して素直な人間ではない父は、県内でもレベルの低い高校をわざわざ選んで、進学した。


それ以来(その前かららしいけど)、母親と不仲になった父は、高校卒業前に母と結婚、就職して家を出た。

そして上京し、兄貴と俺が生まれ、それからは家族の為に働いてきた。





そんな経歴もあってかどうかは知らないけど、父は母を説得してくれた。


そうこうしてハタチになった僕は、めでたく(?)フリーターになった。



最初の給料をほぼすべて使い果たし部屋を借りた。

2008年12月。
独り暮らしをはじめた。



掃除の仕事は早く終わることが多く(その分朝は早いけど)、給料も安くはない。

余裕のある生活はできないけれど、最低限は確保され、自分の時間も大いにある。

家に帰って歌ってみたり、河原に行って歌ってみたりした。



これこれ、これだよね。
青春時代の真ん中って感じ。


仕事を覚えるのに苦労していたものの、体を動かすからメシは旨い。

先輩達とも徐々に打ち解けていった。



ハーティの活動の方も、僕のスケジュールに融通が利くようになり、頂いたライブの話を断ることも減った。

練習にも以前より多く参加できるようになり、新曲も増えた。

僕は充実感を覚えていた。















そんな充実感も、そう長くは続かなかった。


つづく
  1. 2011/02/11(金) 18:54:40|
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「Hearty voxとハイフンと私」デスペラード

まだまだ暗黒期つづくよー。


読んでて気持ちよくないのはわかってます。


でも書きます。

いきます。







不満を募らせながらも、やっぱり歌う楽しさは変わらなかった。


どんなに赤字でもライブは楽しかったし、夜勤明けで寝ないで練習行ったりすると「なんか俺、頑張ってるなぁ」っていう気持ちよさがあった。




でも、次第に体が追い付かなくなってきた。

2008年1月、体調を崩した。




ちょうどその頃、僕は会社を辞めるつもりでいた。

前の年の年末から、会社に辞意は伝えていた。

音楽中心の生活が出来ない。

僕にとっては耐え難いことだった。


しかしながら、人材派遣のシステムが会社同士の契約で成り立っているが故に、僕は退社することが出来ずにいた。





それでも、必死に頑張れば両立できると信じて働いてみた。


その結果、体を壊した。


もっといい方法があるはずだ。

漠然と、そう思っていた。






2008年8月。

今なら契約を解除できると会社から連絡があった。

改めて意思を確認された。

迷いは無かった。



歌のため。音楽活動のため。




しかし、このときの僕にとって、音楽活動=Hearty-voxだったのだ。

このグループでプロになろう、という気持ちは、いつしか無くなってしまったけれど。


それでも僕は、このグループに居続けることを選んだ。









2008年8月末日、辞表を提出した。




つづく
  1. 2011/02/09(水) 21:22:05|
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「Hearty voxとハイフンと私」いざ、参る。

出演者の皆さま、昨日はお疲れ様でした。

そしてお越しくださったみなさん。ありがとうございました。

昨日のライブのインパクトと1回休んだことで、

どこまで書いたのか忘れました。


んー、始まったかな。
俺も。


じゃあスタート。



学生に合わせて練習時間を合わせるのは大変だった。


この頃の僕達は、いま思えば身の丈に合わない譜面にばかり挑戦していたように思う。

成長するためには必要なことだとは思うけど、たまに階段10段くらい飛ばそうとしたりしてた。
当然飛びきれない。なんとか途中着陸するものもあれば、スッ転んでドンガラガッシャンもあった。

そしてこの頃から、今でもHearty-voxのライブではお馴染みの「はじめてのチュウ~名ボーカルグループたちへのオマージュ~」を歌い始めた。


そういえば付いてたね、サブタイトル。

そもそもこの譜面はHearty-voxのために作られたものではない。

SCSの新人ライブのために、僕と細井とで結成した新人バンドのために書いたものだ。


全員がリードを取ることと、一人一人のボーカリストとしての魅力を引き出すことを目的として書いたアレンジなので、

Hearty-voxが歌っても、というか、Hearty-voxで歌うことに意義のある譜面だと思った。



そして貴彦が何の気なしにやっていたボイパを聞いた僕らは、

「貴彦がパーカスできるなら旧曲ができるねー」なんて勝手なことを言い出し、

彼をボイパに据えてSound CheckやA Change in my lifeを復活させた。



あとから聞いたら、相当な負担を課してしまっていたようで。

ありがとね、貴彦さん。





順調にレパートリーを貯め、ライブが決まった。

が、僕は出られなかった。

仕事が被った為だ。



ヘルプを入れてライブをしたらしい。
僕はよく知らない。



その後ややあって、今度こそ5人揃った復活主催ライブが執り行われた。相変わらず多作で。



第三回主催ライブ「Heart & Soul~参~」



随分安直に付けたなぁという感じだけど、

裏の裏をかいたら表になってた、ということです。


参回目。

Hearty-vox、休止期間を終え、再び参上。

お客さんたくさん参加してね。

最後にお客さんに「参りました」って言わせるようなライブにしようね。


そんな思いをぶっ込んだら、全く伝わりませんでした。(笑)


まぁそうですよね。



その後また、高校時代を上回るようなペースでライブを行った。

多作以外のライブハウスにも、多く出演するようになった。

赤字ぶりは変わらぬままに。






次第に「こんなにたくさん、赤字を背負ってまでライブをやって意味があるのだろうか?」と思うようになった。


僕は会社員だからなんとかなるけど、みんな苦しいんじゃないだろうか。


その上、ライブばかりで練習もろくにしていない僕らは、いつもほぼ同じセットリストでライブに臨んでいた。


ここへきて、高校の頃に培った「ライブへの慣れと、緊張感のなさ」が顕著に現れていたのだと、今だから思う。




聞き手のことを考えない、独りよがりなライブ。

僕は少しずつ不満を募らせていった。




つづく
  1. 2011/02/07(月) 21:54:50|
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連載一回お休み!!

きょうはえびすてんまどすうぃっち!!

あんてーくやそるふれでぱーかすをやってたくまちくんのしゅさいです!!



このように、平仮名ばかりの文章は、非常に読みにくいですね。

ですが小学1年生の教科書をご覧なさい。句読点こそあれ、似たようなもんです。

そして1年生のころならスラスラ読めたはず。

漢字というツールを手に入れ、逆に原点である平仮名に使いづらさを覚える。
それはまさに、物に溢れた現代社会の


あ、岩城です。どーも。





今日は初めて恵比寿天窓の舞台に立ちました!!


そして、今年初めてステージに上がった日でもありました!!




今日は緊張したなぁー。

ちょっと間が空くと、いつもコレです。





で、そうすると心拍数が上がって、余計に酸素が必要になります。

普段より悪い意味で力も入りますし、すぐに息が切れます。





今日もね。もうね。


1曲目の1番終わった段階で「ヤバい!!」ってなって、

ずっと冷静を保つよう努めたんですが、一回息が切れちゃうと、歌い続けてる限り治らないんですよね。

もう勢いで行っちゃえ!!って思うと、案外何とかなったりしますが。(笑)

でも、お辞儀に見せ掛けて(多分見せ掛けられてない)、

下向いてゼーゼー言ってます。もう必死。



今日は終始そんな感じでしたね。



息は絶え絶え、記憶も途切れ途切れです。


まだ今日の音源を聞いていないんでわかりませんが、

きっとフラフラしてるんだろうなぁ…


Hearty-voxは、シャ乱Qの「ズルい女」をカバーしてます。

コレがまぁ、前にもどこかで書いたかもしれませんが、リズム隊泣かせというか、僕の息の根を止めるための曲というか。


いつ息を吸えと!?みたいな譜面でして。



そこを上手くやりくりして息継ぎを作るのが僕の仕事なんでしょうが、



全ての音符が愛しく、みんな拾ってあげたい、歌ってあげたい…

なんてことは考えませんが、いまだに上手く音数を減らせていません。



おかげで今回も、途中から記憶ありません(笑)



まぁ辛かった話はこの辺にしまして。



今日のライブも楽しかったです。

やっぱり楽しいですね、ライブは。


そしてお客さんがたくさんいると、もっと楽しいですね。


幸せでした。

Hearty-voxでのライブはあと数回になりますが、最後まで楽しく駆け抜けられたらいいなと思います。






なんか今日は文章の感じが違うね。

と思って読み返してみたけど、そんなことないね。


なんだろな。まだフワフワしてるのかな。



よーし、明日も仕事だし寝るぞよっ。


おやすみ。



いわき
  1. 2011/02/07(月) 00:01:25|
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「Hearty voxとハイフンと私」第二期スタート

さぁさぁどんどん参りましょう。



コメント全然返せてませんが、
最後にどばぁーっと返す、かもしれません。


差し当たりひとつだけ、訂正と言うか補足。


>>りょうすけ

当時はちょっとアレだったけど、浪人したこと自体には、なんの恨みもないよ!!
必要なことだと思うし、当然のことだと思う。
だからこそ、「ハーティが復活しない」っていう事実はどうしようもなくて、当時の俺はその歯痒さにイライラしてたんだ。


説明不足ですいませんでした。




では本文、いきます。







僕がニートになったとはいえ、他のみんなはこの4月、無事進学を果たした。


細井の合格通知の瞬間には、なぜか立ち会った。大阪でね(笑)




だから、ハーティは再開するはず。



と、思っていた。





しかし、しなかった。


学校が忙しくなった者もいたけど、それにしたって。

僕の中で1つの疑問が生まれた。



仕方なしに、細井に誘われたのもあり、早稲田のSCSに入った。

初めて出会う人間と歌うのは楽しかった。





ニート生活、最初の1週間は楽しかった。

でもすぐに怖くなった。
俺はこれからどうなるんだろう。

夜、布団の中でこっそり泣いた。





5月になり、ようやく就職をした。

IT関係の会社だった。

派遣社員みたいな感じで、余所に出向して仕事をする部署。



最初の配属先は、某お役所の関係の仕事。

お役所が空いている時間にしかできない作業のサポートだったので、業務は9時前から5時過ぎまで。


残業は、ほぼ無し。

僕にとっては最高の条件だった。



翌年3月までの契約だったけど、当初の予定ほど業務が膨らまず、9月末の人員整理に僕も巻き込まれた。







幸い、次の配属はすぐに決まった。



銀行の関係の仕事だった。

Webで24時間口座の残高見られたりするでしょ?

アレの運用。





職場にはインド人技術者がたくさんいた。

コミュニケーションは英語だ。


最初こそ戸惑ったけど、いざ飛び込んじゃうとどうにでもなるもんだね。


ここにいた1年弱は、それなりに英語で会話できた。

異文化コミュニケーションは非常に楽しかった。



ただ問題は、先にも書いた通り「24時間」使えるものの「運用」だったのだ。


当然、こちらも24時間営業だ。

20人ほどのチームで、常に3~5人がオフィスに居る状態。


日勤と夜勤がチャンポンのシフト。


それで業務時間が長かったら最悪だけど、逆に休みは多かった。


不便ではあったが、まだ何とかなった。



しかしこの頃になって、思いもよらないニュースが飛び込んできた。



ハーティを復活させる、という話だった。
学校で忙しくなったメンバーの代わりに貴彦を迎え入れ、新たな5人で活動を再開する、ということだった。






素直に、やりたいと思った。

スケジューリングもまぁ何とかなるだろう。

このときは、それくらいに考えていた。








こうして、大学生4人と社会人1人の「Hearty-vox」が生まれた。







さて、皆さん気づいたかな?

ハイフンが入ったことに。

今だから明かそう。禁断の真実を。

わざわざハイフンを入れた、その理由を―――――
















なんとなく、である。

いや、マジでマジで。




ただ、「メンバーが変わるから、ちょっとグループ名も変えよう」と、


どっかの誰かが言った記憶はある。


僕は正直、変えたくなかった。

これも「なんとなく」だが。



そしてそのどっかの誰かが「Hearty-voxでどうだろう?」と言い出した。



これまた「なんとなく」だが、安っぽい気がして僕はいやだった。

しかし、次の練習の時には決まっていた。


何てワガママなやつだ(怒)






今では、ハイフンが付いていないと、しっくり来ない。

不思議なもんだよね。人間ってやつはさ。




つづく
  1. 2011/02/05(土) 20:24:24|
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「Hearty voxとハイフンと私」卒業そして

みなさんそろそろ飽きてきた頃かと思います。

ここから暗黒期に入ります。ご了承ください。



ではスタート!!




ハーティが休止になって、とりあえず僕は暇になった。

お金もビックリするくらい貯まった。いちばん多いときで80くらい。


ちなみに今は「宵越しの銭が持てねぇ」な状態ですので悪しからず。




とにかく、自分を鍛えることを考えた。


ボイトレに通った。
ソロでの舞台を経験した(文化祭レベルだけどねw)

学校サボって家で多重録音してみたり、
学校サボった日でも、部活にはちゃんと出てみたり。


ちなみに部活は、活動をしていなかった音楽部(実際合唱部)を、この年の4月に音楽の教師と共謀して「復活」させた。

2年生は僕一人だったけど、とにかく歌うのは楽しかった。

合唱の発声とポップスの発声、どちらも練習するのは本当に楽しかったし、タメになったと思う。

とにかく歌う機会を見付けては飛び込む。

ただ楽しかったのもあるけど、全てはHearty voxのためだった。

勉強もしないで歌っていた。ひとカラなんて死ぬほど行った。


学年で24位だった定期テストの成績は、気が付けばクラスで30位とかになっていた。

当然教師に心配された。

両親には怒られた。

歌への熱に反比例して、勉強への興味は薄れていった。


ちなみにこういうときに「反比例」っていうけど、「マイナスに比例」だよね。

余談でした。


余談ついでにもうひとつ。

定期テストの点数こそ悪かったけど、実力テストはずっと学年で5位以内には入ってました。
高校時代、学業の面において唯一の自慢話です。

はい、本当に余談でした。



3年になる頃、当然進路についての話になった。






僕の家は決して裕福ではない。

大学に行くのはいいけど、家から学費は出ませんよ、と、5歳の頃から言われていた(これマジね)。


まぁ学費は奨学金でなんとかなるにしても、もうひとつ問題があった。


18になったら家を出てください。と言われていたのだ。


となると、学業と生活費のための色々とをしなければならない。

だったら、みんなが勉強してる間に働いて、アフター5を音楽に使えばいいんじゃないだろうか。



という発想で、僕は就職かフリーターかでざっくりと悩んでいた。

このときはまだ、本当にざっくりと。






そして春が来て、ハーティ活動再開!!!






の、はずだった。




残念ながら、細井と吉谷の浪人が決定してしまったのだ。

もう一年、待たなければいけない。


僕はキレ気味で事態をそれでも受け止めた。

そして、ハーティを少し嫌いになり始めた。







高3の頃は、そりゃもう好き放題やった。


学校に行かずに一人でカラオケ。回りが引退してるのに、ちゃっかり文化祭まで部活動。

新入生への部活説明会でアカペラ(普段は全然やってない)。




そして、文化祭で友達とアカペラ。

これは本当に楽しかった。


当時流行ったゴスペラッツからハリケーン、
ゴスペラーズの終わらない世界、真っ赤な太陽(ひばりちゃん:ゴスカバーのやつ)、
なぜかFF8でバトルに勝ったときのファンファーレ(笑)


このバンドではほぼ全パートをやった。

ハーティでの鬱憤を晴らすべく、リードも多目にした。

なんせ楽譜書くのは俺だから、好き放題だよね本当に(笑)


最初の方にも書いたが、僕はそもそもコーラスをやりたかった。そしてリードをやりたかった。


他のバンドのベースよりはリードは多かったかもしれないけど、僕のフラストレーションは募るばかりだったのだ。


それを晴らすべく、この文化祭バンドではリードとコーラスがメインだった。

僕以外にベースができる奴が居たのもあるけどね。



とても楽しかった。

ハーティでは感じられない楽しさだった。

ほんの少し、Hearty voxに対する不信感が生まれた。





文化祭の頃には就活も始まっていた。

ことごとく落ちた。そりゃそうだ。

年間欠席30ってなんだよ(笑)


フリーターになることは両親に止められた。

本気で心配してくれていたんだろうと思う。

僕が歌に対する情熱を訴えられなかったのもあるけど。恥ずかしくてね、当時はとにかく。



就活を続けた。

まぁ落ちる落ちる。





そしてそのまま3月、高校卒業。





その時ちょうどバイトもしていなかった僕は、遂にニートになってしまった。




つづく
  1. 2011/02/04(金) 20:54:08|
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「Hearty voxとハイフンと私」新と息

ガンガンいくよー。

今日は仕事休みだからね(笑)



では、参ります。








2005年3月、初めての主催ライブを打った。



第一回Hearty vox主催イベント「Heart & Soul~新~」



「実力派高校生グループの初主催イベント!!」みたいな紹介を、多分スタッフさんが(大江さん?笑)書いてて、なんかスゴい恥ずかしかった記憶がある。

っていっても、LaVoceのバンドの解散ライブも兼ねてたり、ウチの出番がさほど長いわけでもなかったり、普通のブッキングライブみたいな感じだったと記憶している。

まぁ当然と言えば当然。



この頃のライブに対する意気込みのだらしのなさは、今思えば恥ずべき点だ。

まぁみんな高校生、ちょっとライブいっぱいやったからって、慣れていたのと、調子に乗っていたのはあっただろう。

この緊張感の無さは、この後数年間に渡り僕らを苦しめることになる。




その頃、4月以降の活動をどうするかを話していた。


僕以外のメンバーが高3、つまり受験生になるからだ。




僕以外で話して、夏休み前で一度、活動を休止することが決まった。



活動休止までのいくつかのライブは、今でも「Hearty vox」のイメージであると言っていいだろう。
ですよね?大江さん?(笑)




活動休止前最後のライブは、多作での主催だった。

生意気にも60分のステージ。お客さんも15人くらい呼べた。




ライブタイトルを考えてくれと、リーダーから頼まれた。


この頃には、バンドのブログ、ライブのMCなど、言葉の面でグループの中枢を担っていた。


ちなみにMCは、吉谷が今のようにボケたりせずに、どちらかと言うと淡々と進行させ、

それに僕がチャチャを入れ、細井か吉谷辺りが突っ込む、というのが基本だった。





「Heart&Soul」は主催イベント名として残し、漢字の部分で意味合いを持たせてほしい、とのことだった。


インスピレーションはすぐに湧いてきた。





こうして2005年7月30日、僕らの休止前最後のライブが執り行われた。




第二回Hearty vox主催イベント「Heart & Soul~息~」


息を合わせること、アカペラの基本だ。

また「息」には「休む」という意味がある。

そして、「自らの心」と書く。

休息の前の自分の想いや意気込みを、歌に乗せて表現できれば、という思いを込めた。


うん、高校生にしちゃ上出来だろ(笑)



しかし、メンバーにも明かしていなかった、もうひとつの意味がある。


「息」は、「生きる」の語源でもあるのだ。


Hearty voxは生き続ける。
今はただ休むだけ、また春が来れば、必ずまた帰ってくる。


そんな僕の願いにも似た思いを、この字に込めた。
















しかし僕の願いも虚しく、Hearty voxがステージに帰ってくるには、少し時間がかかることになる。



つづく








この頃の主なレパートリー


Sounnd Check -Checkin' the MIC-(Boys Nite Out)

One more day(ゴスペラーズ)

Livin' on a prayer(Bon Jovi:NORTHカバー)

Get ready(The Temptations)

Change the world(Eric Clapton:TRY-TONEカバー)

ハナミズキ(一青窈:岩城慧アレンジ)

A Change in my life(Rockapella)
  1. 2011/02/03(木) 19:36:28|
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「Hearty voxとハイフンと私」理由

ちゃんと読んでくれてる心優しい方が幾人かいらっしゃるみたいなんで、今回からは心して書きます。


それが吉と出るか凶と出るかはわかりませんが(笑)






じゃあ始めます。






初ライブ以降、僕たちは結構なペースでライブを重ねた。

多作を中心に、というかほぼ多作だったけど、

練習よりもライブが多い時期もあった。


プロのバンドとの共演(?)もあった。


Cooley High Harmony、宝船、TRY-TONEも。

もちろん、プロが出ればチケットは高い。


当時はお客さんは2、3人しか呼べなかったから、大赤字だった。

でも楽しかった。

バイトを始めて、お金もなんとかした。




ライブを続けていくうちに、ライブハウスのスタッフさん等から、僕は直接聞いていないけど、こんなことを言われたらしい。






「ベース、けいくんで固定しちゃえば?」




今だから言うけど、当時細かいテクニックこそ無かったけれど、


低音のピッチ、声質、そして何より声量の面で、僕はリーダーより上だった。

にもかかわらず、リーダーは自分がリードの曲以外ではベースを基本的に譲らなかった。

よほどベースもやりたかったんだろう。

自分がベースをやりたい曲ではベースをやり、
リードを取りたい曲ではリード。


なんてワガママなヤツだ(怒)



しかし、スタッフさんの全く悪気のない一言に拗ねたリーダーは(笑)

岩城ベースにしよう、と半ば逆ギレ気味にメンバーに伝えたのだった。


他のメンバーは「ああ、いいんじゃない?」みたいな感じだったと思う。



おかげでリーダーはさらに拗ねた(笑)






相変わらず他のメンバーに敬語だった僕は、
断ることもできずにそれまでのレパートリー全曲のベースの音取りを始めた。













断らなかったのには、他にも理由がある。



まずひとつ、自信がついていたのだ。

リーダーはさておき、ライブで共演した他のバンドのベースを見ても、

俺の方が音がデカい、俺の方がピッチがいいと、
………まぁ高校生の思うことだから、読んでる人には適当に流してほしいんだけど(笑)


とにかく僕は自信をつけていたのだった。





そしてもうひとつ。


当時の僕は、Hearty voxが大好きだったのだ。

グループの決定に逆らうことなど、考えられないほどに。







こうして、「Hearty voxのベースのKeiくん」は本格的に誕生した。





つづく
  1. 2011/02/03(木) 12:47:24|
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「Hearty voxとハイフンと私」初ライブ

独りよがりの連載二つ目でございます。


俗に言う○○○ープレイですね。なんかお団子みたいですね。



諸々無視して、では始めます。




名もないグループに入って、最初に2部の楽譜を渡された。

1曲目のPromise(ゴスペラーズ)は3rdコーラスだった。

しかし2曲目のAnother Orion(藤井フミヤ:NORTHカバー)はベースだった。

理由は、ベースの人がリードをやりたいから。

彼は一応リーダーだ。




意外とワガママ聞いてもらえるグループなんだな、と思った。

僕はベースをやることを快諾した。

このときはまだ、「コーラス兼ベース」の肩書きが、しっかりと存在していたから。

しかしこれが、全ての始まりだった。








その後、曲数を増やしていった。

基本的にはコーラスで、リーダーがリードをとるときはベース。

しかし、全体の半分近くはリーダーがリードをとるので、

それに伴って、僕も半分ベースになっていた。


それでもまだ、半分はコーラスだったんだなぁ。このときは。

Sounnd Check -Checkin' the MIC-(Boys Nite Out)や、A Change in my life(Rockapella)、今でもライブで披露するこれらの曲は、この頃から歌っている。


Sound…はリーダーがリードをとったので最初からベースだったけど、
A Change…は最初から吉谷がリードなので、当時の僕は、今では菊池が歌っているパートを歌っていた。




そうこうしているうちに、初ライブが決まった。
が、流れた。(笑)

ちなみにそのときは「FIVE LIPS」で出る予定でした。ダサっ!!


その後すぐに、グループ名を「Hearty vox」に改めた。

誕生の瞬間である。


ちなみにグループ名決定に際し、リーダーから「Hearty voxでどう?」と聞かれ、
僕は「どうっすかねぇ?(異議ありのニュアンスで)」と伝えたが、
次の練習のときにはもう決まっていた。

回りが皆ひとつ年上で、しかもこちらは中学卒業からまもなく、しかも中学時代には野球部に所属していたため、
年上に反論する、などという発想はなかった。



その後2ヶ月ほど経って、今度こそ初ライブが決まった。


人生初の「客から金をとるライブ」は、2004年のクリスマス。場所はアカペラ人のメッカ、渋谷多作。

確か20分のステージで、4曲歌ったと記憶しているが定かではない(苦笑)

そしてそのうち恐らく3曲で、僕はベースを担当した。






リーダーに促されたんだったか。

理由はよく覚えていないけど、自己紹介のときに僕はこう言った。



「ベースやってます、Keiです。」



このとき、「Heartyのベースのけいくん」が不覚にも産声をおんぎゃーしてしまった。


ってかこの時はステージネームがあったんだね。ダサっ!!(笑)







この頃の主なレパートリー


曲名(アーティスト)…僕のパート


Sounnd Check -Checkin' the MIC-(Boys Nite Out)…ベース

A Change in my life(Rockapella)…2ndコーラス

Change the world(Eric clapton:TRY-TONEカバー)…ベース

One more day(ゴスペラーズ)…ベース及びリード(及び2ndコーラス)





ちなみにOne more dayは、全員リードを取るのに僕はベースだった。


未だにそうだけど、僕はベースを歌うにあたって、ゴスペラーズの北山氏に多いに影響を受けている。

その辺が多分、細井辺りの心をくすぐったんだろう。

というか、僕にとっての「きっかけ」がゴスペラーズであったが故か、
エンターテイメントへの意識、アカペラというものの捉え方、その他随所にゴスペラーズの影響を受けているように思う。
これはもうなんか拭えない。
多分、一生…(笑)



つづく
  1. 2011/02/02(水) 17:18:14|
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「Hearty voxとハイフンと私」プロローグ

さて、思い付きで始めてしまった連載。

正直、なんにも考えてない。


だから怒濤のクライマックスも、感動のエンディングも、待ってないかもしれません。



なんだろな、長い自己紹介だと思っていただければ。



じゃあ、始めようか。



話はHearty-voxと関係のないところから始まります。

時は2002年、3月。僕は中学1年生でした。

当時、ハモネプってのが大流行してました。今よりもっと。

基本的に流行に鈍感な僕が見てたくらいだから、よっぽど。


小さな頃から歌うことが好きだった僕も、多分に漏れず、友達とグループを組もうと言う話になった。

僕のアカペラ人生のスタート。

最初は二人しかいなかった。

多重録音をしてみたり、二人だけでも何とかなるアレンジを書いて歌ったりして遊んだ。


1年後には4人になっていた。

4人で最初に練習したのは、ゴスペラーズの「ひとり」だった。


この曲を初めて4人で合わせたときの感覚は、未だに忘れられない。


リードが歌いだして、コーラスが入ったその瞬間。

全身鳥肌。震えが止まらなかった。

男子トイレで僕は言い知れぬ感動に包まれていた。


曲が終わったときに、僕は思った。


これを、一生続けよう。



発表する場があったわけでもない。

目的のない練習がただ楽しくて、毎日トイレに通った。




中学を卒業すると、僕はすぐに活動の場を探した。


Webでメンバー募集の掲示板を見つけては書き込む。

コーラスを拾ってくれる、「プロ志向の」グループを探した。



今考えれば、ずいぶんとおかしなことを言っていたなぁと思う。でも僕は本気だった。


いくつかのグループと会った。

しかしどこに行っても少し歌うと「やっぱりベースやらない?」となった。


当時の僕は、絶対にベースはやりたくない!!と思っていた。

理由は単純で「リードを取る機会が少ないから」。

僕の目立ちたがりぶりは、この頃には既に花開いていた。

ベースに回されると、すぐにグループを抜けて次を探した。








そうこうしていて、2004年5月。

一つのグループからメールを受け取った。


まだ名もないその男声グループは、コーラスの低い方を探しているらしい。

他の4人は決まっていて、あとはそのパートのみであると。

そして、プロ志向のグループである、と、メールには書かれていた。

テストも兼ねて練習に参加してほしいとも。


まさに僕にうってつけの話だと思い、二つ返事で承諾した。




初めての練習はとても怖かった。


他のメンバーは全員僕の1つ年上で、僕より長くアカペラグループでの活動をしていた。

練習時間はあっという間に過ぎた。

そのときのことはよく覚えていない。

覚えているのは、Promiseを歌ったことと、
真剣に練習に取り組む姿が、格好よく映ったこと。


テストの合否は知らされなかったけど、気が付くと僕はメンバーになっていた。


以上、後に「Hearty vox」という名前で活動するグループの、結成までのいきさつでした。


眠くなったのでこの辺で。


では。




>>りょーすけ

初回はぶんすけ邸じゃなくて、渋谷のよくわかんないとこだよ!!
ちなみに文介も、ハーティが彼の家で練習したこと覚えてて、その話したら爆笑してたよ(笑)
  1. 2011/02/01(火) 23:28:15|
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